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【online shop】新商品のお知らせ ジグソーパズル(銅版画17世紀のベオグラード・234ピース)
ベオグラード市立博物館所蔵の版画コレクションより 17世紀のベオグラードを描いたMelchior Hafner作、銅版画のジグソーパズル(234ピース)。
ベオグラード市立博物館は、16世紀から19世紀末までに制作された、ベオグラードの街を描いた非常に貴重な版画コレクションを所蔵しています。それらは、およそ4世紀にわたりウィーン、アウグスブルク、ニュルンベルク、ライプツィヒ、アムステルダムなど、ヨーロッパの主要な経済および出版印刷の中心地で描かれ、ヨーロッパで最も有名な芸術家や彫刻家がベオグラードの表情を切りとりました。 19世紀にセルビアが国家として復活した後、セルビアの首都の工房でも版画が印刷されました。
この絵画は、Melchior Hafner により制作された銅版画の複製であり、大トルコ戦争(1683–1699)の間、ヨーロッパの大衆に非常な人気を博したため、1685年と1687年にさらに2つの版を重ねました。
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セルビア共和国 3×3男子バスケットボール・ナショナルチーム事前合宿における セルビア料理コーディネートをいたしました
佐賀県唐津市にて事前合宿中の、セルビア共和国3×3男子バスケットボール・ナショナルチームの事前合宿に、セルビア料理メニュー・コーディネートのお仕事をいただきました。
合宿中の選手の食事風景は、唐津市の3×3バスケットボールチーム Karatsu Leo Blacks のページをご覧ください。
【online shop】再入荷のお知らせ 『SERBIAN CUISENE (2IZDANJE) (セルビア料理・第2版)』
入荷するそばから旅立ってゆく人気のレシピ本が再々入荷。為替が円安の傾向にあるため次回の入荷時は価格改定する必要があるかもしれません。
洋書のため、今回も早いもの勝ち!
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古くから慣習や娯楽は、人々のアイデンティティを維持する上で重要な役割を果たしてきました。中世セルビア人のほとんどは、伝統文化に富む農民でした。セルビア料理の豊かさは、何百年にもわたる地理的、民族的、文化的に多様な人々の交流に由来しています。受け継がれてきたレシピを通じ、読者は、民族的特徴のいくつかと、セルビアの広大な自然の恵みの一部を知ることでしょう。現在、わたしたちは、伝統がまったく異なる現代的な生活様式に適応させられた、多くの例を目の当たりにしています。けれども、セルビアでは、古い価値観と自然への敬意が完全に失われたことはありません。
英語版による本書では、COLD APPETIZERS(前菜)、SOUP AND BROTHS(スープと出汁)、HOT APPETIZERS(温かい前菜)、MEATLESS DISHES(精進料理)、MEAT DISHES(肉料理)、GRILLED DISHES(焼き物)、FRESH WATER FISH DISHES(川魚料理)、SALADS(サラダ)、DESSERTS(デザート)、PRESERVES, COMPOTES, JAM(保存食、砂糖煮、ジャム)の10章から全116品のレシピが収録されています。
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【online shop】新商品のお知らせ『 オスマンvs.ヨーロッパ 〈トルコの脅威〉とは何だったのか』
「この曲の名は『汝が父祖、汝が祖父』というった意味なのだが、実はこの曲の歌詞が表現しているのは、決してオスマン軍の精強さなぞではなく、トルコ民族としての誇りの感情なのである。そしてそれはイェニチェリがヨーロッパ世界を震え上がらせていた当時には存在していなかった感情である。なぜなら、イェニチェリは、本来バルカンのキリスト教徒の子弟から徴発されたものたちによって構成されていた―つまりトルコ人ではなかった―し、第2にオスマン帝国に「民族」の概念は存在していなかったからである。」(プロローグ 「トルコ行進曲」の起源 より)
ヨーロッパが「トルコの脅威」と力説するオスマン帝国は、決して「トルコ人の国家」だったわけではない。「イスラムの脅威」に対し十字軍が何度も組織されたが、オスマン帝国にはキリスト教徒もたくさんいた。宗教的寛容性と強力な中央集権体制をもち世界帝国を目指す先進国へのおそれ、その関わりこそが、「ヨーロッパ」をつくり、近代化を促したのだ。数百年にわたる多宗教・多言語・多文化の共生の地が、民族・宗教紛争の舞台になるまで。
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【online shop】新商品のお知らせ 『 オスマン帝国500年の平和』
「オスマン帝国は、現在のトルコに限定して捉えられるべきではない。オスマン帝国下では、トルコ系の人々の大半が、バルカンやアラブの人々同様、被支配民だった。あえて支配層の民族的帰属を問題にするならば、オスマン帝国は、「オスマン人」というアイディンティティを後天的に獲得した人々が支配した国としかいいようがない。「オスマン人」の集団に入っていったのは、現在いうところのセルビア人、ギリシャ人、ブルガリア人、ボシュナク人、アルバニア人、マケドニア人、トルコ人、アラブ人、クルド人、アルメニア人、コーカサス系の諸民族、クリミア・タタール人などである。少数ながらクロアチア人、ハンガリー人もいる。要は、何人が支配したかは、ここでは意味をもっていなかったのである。」(はじめに より)
講談社創業100周年記念企画として刊行された全集「興亡の世界史」の学術文庫版第一期のうちの第4冊目。イラク、シリア、そしてパレスチナと、現在も紛争のさなかにあるこの地域を理解するためにも必読の書。
14世紀の初頭、アナトリアの辺境に生まれた小国は、バルカン、アナトリア、アラブ世界、北アフリカを覆う大帝国に発展し、19世紀までの約500年にわたって、多民族と多宗教を束ね、長期の安定を実現した。この「オスマン帝国」は、一般に理解されているような「イスラム帝国」であり「トルコ人の国」だったのだろうか?メフメト2世、スレイマン1世ら強力なスルタンのもとで広大な地域を征服した後、大宰相を中心に官人たちが支配する長い時代が続き、やがて、「民族の時代」の到来により「多民族の帝国」が分裂するまでを描き、柔軟に変化した帝国の仕組みと、イスタンブルに花開いたオスマン文化に光をあてる。
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