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2021/03/18
【online shop】新商品のお知らせ『ミュシャ スラヴ作品集』

「セルビア人は長らくヴィザンティン帝国に強い影響を受けていた。しかし13世紀半ば、シュテファン・ドゥシャンの治下、セルビアはバルカン半島で最も強力な国の一つとなった。軍事的な成果に加え、彼の最も重要な事績の一つは法典の整備であった。彼が編集した法典は帝国に平等に運用され、それによりセルビアも法治国家としてヨーロッパ諸国に後れをとっていないことが証明された。1346年のイースター、シュチェバーン・ドゥシャンはスコプリエの町の近くの聖マルコ教会でセルビアとギリシャの皇帝に即位した。ここに描かれているのは戴冠式というメイン・イベントそのものでなく、その後、祝賀の行列がちょうど教会を出てきたところを描いている。」(「セルビア皇帝ドゥシャンの東ローマ帝国皇帝即位 スラヴの法典」より)
「東欧出身のミュシャがアール・ヌーヴォーの画家として成功したのは、彼がまさにフランス的、西欧的な伝統とはほとんど無縁の東欧の、スラヴ世界の出身であったことと無関係ではない。フランス的なエレガンス、洗練、優美、ウィットを適宜吸収しつつも、これらとは異質のエキゾテックかつオリエンタルで、時に神秘的、スラヴ的な感性は、彼の出世作となった、サラ・ベルナールのためのポスター《ジスモンダ》にもすでに表れている。」(「プロローグ モラヴィアのミュシャ」より)
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