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【PDO/PGI / セルビアワイン産地の地理的表示(oznake geografskog porekla)】

シュマディヤ地方(ŠUMADIJSKI REJON)

シュマディヤ(Šumadija)地方の生産地域には、ルドニク山(Rudnik)から大モラヴァ川(Velika Morava)までのシュマディヤ(Šumadija)の丘陵地帯の一部が含まれている。最大のワイン生産地域はクラグェヴァッツ(Kragujevac)である。

カラジョルジェヴィッチ(Karađorđević)王家のワインがこの地域を有名にしたが、この地域のワイン造りはそれよりはるか以前にさかのぼることができる。ヴィンチャ(Vinča)村の名は、オプレナッツ(Oplenac)のローマ人により、ワインを意味するヴィンセア(Vincea)にちなんで名付けられた。

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オプレナッツは19世紀にセルビア国家の中心地となったが、同時にワインの首都でもあった。1906年にペータル1世(Peter I Karađorđević)はオプレナッツ農民から土地とブドウ園の買い取りをはじめ、土着品種の栽培をはじめた。後継者であるアレクサンダル(Aleksandar)は、父親からワインとブドウ栽培への愛情を受け継ぎ、1923年から国際品種の栽培をはじめた。1931年にはオプレナッツの丘に彼自身のワインセラーの建設を決め、長さ45m幅15m、地下2階で40万ℓの容量をもつ王家のワインセラーが完成した。ワインは、容量4,000ℓのスラヴォニアオーク樽でここに保管されていた。今日のオプレナッツ・ワイン街道の最大の観光名所である。博物館に変わった一部には、最初のワイン樽のいくつかが大切に保管されている。その中には、1922年にアレクサンダル王への結婚祝いとしてユーゴスラビア王国の国民から贈られた3つの樽も含まれている。それぞれの樽の容積は530ガロンあり、正面にはセルビア語、クロアチア語、スロベニア語で賛美歌の詩が刻まれている。

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第二次世界大戦後、ヴィンチャのワイン製造協同組合は国有化され、工業国営企業ナヴィップ(Navip)の一部とされた。王のワイナリーは王家の財産とともに没収され、時間の経過とともにブドウ園は放置されていた。 1990年代まで放置されていたオプレナッツのブドウ畑はワイナリーのアレクサンドロヴィッチとラドヴァノヴィッチによる改修後、約1120haに至っている。最初の収穫は2006年に行われ、以降、王家のブドウ畑のワインが再び世界中へ輸出されている。

52.クルニェヴォ(Krnjevo)地区

53.オプレナッツ(Oplenac)地区

54.ラカ(Raca)地区

55.クラグエヴァッツ(Kuragujevac)地区

【主な栽培品種】

(白ブドウ)オプレンカ(Oplenka)、ジラヴカピノ・ブランプレメンカトラミナックシャルドネソーヴィニヨン・ブランスメデレフカライン・リースリングセミヨ/(黒ブドウ)プロクパッツガメイピノ・ノワールヴラナッツムスカット・ハンブルグカベルネ・ソーヴィニョンメルローカベルネ・フラン、マラガ( Malaga) 

【原産地呼称】

ブヤノヴァツのミネラルウォーター「AQUA HEBA」(Bujanovačka mineralna voda “AQUA HEBA”)/ブコヴィチュカ・バーニャの「ミロシュ王子」(”Knjaz Miloš” Bukovička banja)

【郷土料理】

プラム料理/コーンブレッド(Projaポガチャ(Pogača)