food&wine/料理とお酒
トリモラヴェ地方(REJON TRI MORAVE)
トリモラヴェ(Tri Morave)地方は大モラヴァ川(Velika Morava)、西モラヴァ川(Zapadna Morava)、南モラヴァ川(Južna Morava)の3河川で構成されており、最も有名な産地は、山々の狭間にある西モラヴァ川流域地方にある。西と北側に山に接しており、それらは、グレデイチケ山(Gledićke)、ベシュニャヤ山(Bešnjaja)と、ゴシュ山(Goč)の南側、コパオニク山(Kopaonik)、ヤストレバッツ山(Jastrebac)と東ベャリャニカ山(Beljanica)、クチャイスケ山(Kučajske)、ルタニ山(Rtanj)とオズレン山(Ozren)である。
ジュパ(Župa)では、多くのブドウ畑が南または南東向き斜面にある丘陵地帯でブドウを栽培している。ジュパとそのブドウ園に関する最初の記録は12世紀のものである。中世のセルビア建国者であるステファン・ネマニャ(StefanNemanja)は、ジュパのいくつかの村とそのワインセラーをストゥデニツァ修道院に寄贈した。これらの村はすべて、必要に応じて修道院にワインを供給する義務を負っていた(ストゥデニツァ憲章(dd.1196)に記載)。また、ネマニッチ王朝断絶後もラザール公(Lazar)が、自身のワインセラーをクルシェヴィツァ畑(Krševica)に置いていた。フィロキセラは1882年にジュパに到着し、4年のうちに荒廃したが、1891年の国営ブドウ園の設立が耐性株の回復に役立った。
20世紀初頭には100万ℓを超えるワインセラーを所有する醸造家がいくつか存在し、ワインとブドウは、ジュパの主要な収入源であった。しかしながら、20世紀の戦争によりワイン醸造のさらなる発展は停止した。第二次世界大戦後、地元の協同組合は国有化され、法により醸造家が商業目的でワインを生産することが禁じられた。ブドウ栽培は大規模な工業用ワイナリーむけの販売に限られ、醸造家にとって困難な時代であった。
21世紀初頭、先駆的なグループが、ブドウ園やワインセラーでの努力と努力を活かして、かつての栄光を取り戻すべく登場した。今日ではジュパは、プロクパッツとタミヤニカの栽培で知られている。黒ブドウのプロクパッツを「王」、白ブドウのタミヤニカを「女王」と並び称し、高品質なワインを生産している。この地方の最大のワイン生産地域はクルシェヴァッツ(Kruševac)である。
38.パラチン(Paracin)地区
39.ヤゴディナ(Jagodina)地区
40.ヨヴァッツ(Jovac)地区
41.レヴァッツ(Levac)地区
42.テムニッチ(Temnić)地区
43.トルステニッツ(Trstenic)地区
44.クルシェヴァッツ(Kruševac)地区
45.ジュパ(Župa)地区
46.ラジャニ(Ražanj)地区
【主な栽培品種】
(白ブドウ)タミヤニカ、リースリング・イタリコ、ピノ・グリ/(黒ブドウ)プロクパック、ヴラナッツ、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー
【原産地呼称】
ルタニのハーブティ(Rtanjski čaj)